最終更新日 2022/1/10
こんにちは、ライフリメイカーの山本翔太です。
この記事では、僕自身が学生の時に経験した出来事を書きます。
メンターの方に教えていただいてわかったのですが、目標設定と強烈なセルフイメージの書き換えを知らないうちに行っていました。
今思うと、とてもよくやったなと当時の自分を褒めてあげたいです☆
では、当時の自分を褒めてあげたいくらいの出来事とはどんなことだったのでしょう?
気になりますよね?ww
さっそく見ていきましょう~
このページの内容
大学デビューに失敗!?
僕は工業高校出身で、卒業時には学年で唯一進路が決まっていませんでしたww
というのも、特にしたいこともなく何となく大学が女の子もいて楽しそうというだけで進学を選び、見栄を張りたいがためにそれなりに偏差値の高い大学を受験し失敗しました。
工業高校は普通科目が弱くなってしまうので…という言い訳は置いておきましょう(笑)
推薦も受けれましたが、行きたいとこではなかったので友達に譲りそのまま卒業しました。
一浪して再受験しましたが失敗し、当時、現役大学院生だったの塾の先生が「友達がここ受けて受かったって言ってたよ~」と教えてくれてとりあえずそこを受験し合格しました。
失敗したとこ以外は考えておらず、受かればどこでもいいやと思っていたので何も考えず、受かった時点で他に受験することをやめました。
これで華やかな学生生活ができると思ってましたが、「一浪した事実」と「一つ下の学年と同じ」ということで変なプライドが傷付き、大学デビューに失敗しましたwww
まさかの事態発生!?
着信アリ
なんとか学生生活を楽しみ半年が過ぎようとしていたある日。
ふと携帯を見ると「着信アリ」
・・・
なんだか嫌な予感。
親からだったので折り返すと、仕送り分を学費に充てるとのこと。
・・・
オーマイガー!
仕送りと奨学金を生活費に充てて生活していたので、急遽バイトを始めました。
予想外デス
それから1か月が経ちこれでようやく学生生活が楽しめると思っていたら・・・
Pululululu…
何かと思い電話に出ると、とても申し訳なさそうな親の声が。
内容は「学費を払うのも困難な状況にあるので休学してほしい」とのことでした。
・・・えっ?
(何が起こったか背景を説明すると、実家は自営業をしていて、このときは過去最低の売り上げで自分たちが食っていくのもやっとのレベルだったと後で聞きました)
選択肢は2つ!
当時、近況を電話で話しているときから何となく経済状況がよくないことは想像していたのですが、実際に言われると精神的なダメージが大きいのと楽しもうとしていたことができなくなるという自分の気持ちと事実を受け止めたくないという様々なことが押し寄せて理解が追い付かなくなりました。
一度電話を切り、気持ちを落ち着かせ状況を整理した結果、選択肢は2つでした。
選択肢①:辞める
親から休学を言われるくらいなので、どういう状況なのかくらいは見てなくても理解できました。
そこで「休学するくらいなら大学を辞めて実家を手伝った方がいい」と親に提案しました。
が、「辞めるのはいつでもできるからそれはしなくていい!」と受け入れられませんでした。
・・・え?・・・あれ?
現状を考えればそれが最善だと思っていたので、否定された気持ちと同時に言動の矛盾にイラつきがあったのを覚えています。
この時の親の心情を想像してみると「親として情けない」「卒業はさせてやりたい」「何とかしなくちゃ」「申し訳ない」という風だったのではないかなと思います。
選択肢②:続ける
辞めるという選択肢が消され、休学して続けるしかなくなりましたww
この瞬間、親を頼れない・頼ってばかりではダメだと痛感しました。
と同時に、少しでも精神的ダメージを減らそうと「親が先に死んだ時のための独り立ちの練習だ。いつまでも親に頼ってばかりはかっこ悪くてダサい」と無理矢理ポジティブに考え自分に言い聞かせました。
歩み始めた自立への道
自分に言い聞かせることができても、現実は親に頼ったり親のすねをかじることなんてできず、生きるためには自分で生活費を稼がないといけません。
ですが、休学して続けるしかなくなったことで強制的ではありますが自立を考えるいい機会になりました。
その時に考えたことは、アルバイトを掛け持ちすることと自分で起業することの2つです。
アルバイター01誕生!!
ちょっとヒーローっぽくしてみました(笑)
学生で生活費を稼ぐ一番早いのが、アルバイトの掛け持ちです。
幸い、休学していたので日中は家電の配送をして、夜はセルフのガソリンスタンド店員、深夜は荷物の仕分けというハードな生活もできました。
ここまで掛け持ちするつもりはなかったのですが、閑散期はなかなかシフトに入れないことがありました。
食費は削りに削って、ある日はジャガイモ1個にマヨネーズと塩をかけて食べる日もありました。
掛け持ちをしていたおかげで生活費をやりくりすることはできました。
休学してから1年後に復学させてもらえたのですが、その後も自分で生活費を稼ぐためにバイトの掛け持ちを続け、サークルでの活動費、車の免許代、中古の車代など全てやりくりしてきました。
そんななかでも単位は一つも落とさず留年せずに卒業しました。
起業チャレンジ
アルバイトの掛け持ちと同時に起業できないかと考え、輸入販売やFXをやってみたりしました。
輸入販売は、当時物販で稼いでいる人のメルマガを読んでやってみたりして、たまたまですが1500円×2回ほど利益を出すことができました。
しかし、輸入するときに英語を読まないといけないこと、読み間違えなどでトータル10万円ほどの赤字になったこと、生活費の負担が増えたことなどで労力と収益が割に合わず断念しました。
FXは、なけなしの1万円で始め、運よく一度3000円勝ちましたが、その後3万円ほど赤字になり精神的にも負担が大きかったので辞めました。
エネルギーの源
なかなかハードモードな生き方でよくやったなと今なら思えます。(笑)
こんな状況のなか、僕が乗り越えてこれたのはなぜか?何が僕を突き動かしたのか?探っていきたいと思います。
エネルギーが枯渇寸前!?
いきなりハードモードに突入していたので、エネルギーが枯渇寸前でした(笑)
そのときは、「なんで自分だけ?」「何のためにここまでするのかわからなくなった」「こうなったのは親のせい」「自分は存在してなくてもいいんじゃないか?」「もうどうでもいいや」ということばっかりで頭の中がいっぱいでした。
こういうことを思い始めると何もする気が起きなくなって、無気力・無感動になっていき普通以上に疲弊していきます。
また心の余裕もなくなり、人がいるときは大丈夫なのですが一人のときに情緒不安定になったり、自分の発する雰囲気も暗くなったりしてどんどん負のスパイラルにはまっていきます。
救世主登場!!
そんなエネルギーが枯渇寸前の中、僕に救世主が現れました。
大学の一年目に入っていたサークルで学園祭の最後にみんなで寄せ書きをしたTシャツをふと見たくなりました。
先輩たちのとても優しくて暖かい言葉や同じ年に入ったメンバーのふざけた言葉一つ一つのおかげで僕は救われました。
それは今でも宝物です。
それがあったからこそ、また動き出すエネルギーが湧き出てきました。
マイナスの感情を膨大な原動力に変換
動き出すエネルギーが出てきて、更に原動力となったことが2つありました。
バイトをしているとき、かなり腹の立つ出来事が2回起きました。
一度目は、真面目に業務をしているにもかかわらず、店長のお気に入りの人の時給が上げられたこと。
その人は出勤日数が少なく業務もほとんど何もしてなかったので、2人にイラっとしました。
ニ度目は、休学してバイトせざるをえない状態であることを知っていながら、「そんなにバイトしてたらフリーターだね」と笑いながら言われたこと。
これを言った人も別の店長だったのですが、この心無い言葉に傷つき思いっきりドアを閉めました。
その後も「何で怒っとるん?」ということを言ってきたので、一切口を利かずにいました。
この2回の件で怒りの感情を「絶対にこいつらを見返してひざまづかせてやる!」という強烈なエネルギーに変えました。
当時は、同じ大学生にかなり嫉妬してました。
親の仕送りで優雅に生活し、バイト代を好きなように使って遊んでいるそんな姿をうらやましく思っていました。
遊ぶお金が無くなったら「金がない」、授業は「寝坊して単位を落とした(笑)」が口ぐせでした。
そんな姿を見て嫉妬と苛立ちを感じました。
そこでも「絶対こいつらには負けたくない!」というエネルギーに変えてました。
真逆の感情
エネルギー源はマイナスの感情だけではありません。
無理矢理にでもポジティブに考えたこともあってか、僕の中に「ちょっと待てよ?この状況を乗り切った自分ってめっちゃすごいしかっこいいやん!」ということに気付きました。
その瞬間、「よし、そうなろう!」と思い立ち少しワクワクしていました。
それからもマイナスな感情が出てくるときと乗り切った自分が交互に出てきましたが、そのたびに「これ乗り越えたらかっこいいな」と自然と思っていました。
その結果、セルフイメージがかなり書き換えられ、復学してから一つも単位を落とすことなくバイトの掛け持ちを続けて生活費をやりくり、サークルもやったりと何事もなかったように無事卒業しました。
まとめ
どんな出来事も考え方次第で自分を大きく変えることができます。
自分が成長していくには、環境の力も必要ですがセルフイメージをどれだけ書き換えることができるかも大切だということが体感できました。
人には環境に適応する力があるので、それをうまく利用することができればとんでもない力を発揮していけるということもわかりました。
当時はあまり思いませんでしたが、今となっては卒業までさせてもらえた親に感謝です。
学生時代は決してラクな生活ではなかったし、あえてそういう風にしたいとは思いませんが、その経験をすることができてよかったと感じています。
これ以上にハードな生活はないと思っているので、今後、いろんなところで役立てていけたらと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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